辛いとき心の中で呼ぶのは誰の名前か
お母さん、という人が多いと思います。
もしくは恋人、配偶者という方もいるでしょうか。
私の場合、初めてカウンセリングを受け始めた時から「先生」です。
心の支えは、カウンセラーの先生の存在です。
自己嫌悪
自分がいつも辛いと思ってる気持ちは、自己嫌悪なのだと思います。
ほとんど全ての自分の言動について、自己嫌悪があります。
人と会ったあと
今日は会社の同僚と会社帰りに食事に行ってから帰りました。
帰宅してから、何となく心がザワザワした感じがあります。
人と話すことは自分にとって刺激的なことだからだと思います。
した会話の内容などを反芻したりして、落ち着かない気持ちです。
自分が話したことについて、何故か罪悪感のようなものを感じます。
同性愛
今私は男性と付き合っていますが、今までの人生で女性を好きだなと感じたことが何度かあります。
これは母性を求めているということではないかと少し思っています。
高校を辞めてからも通っていた大学受験のための塾で、英語の女性の先生に惹かれていました。
その先生は既婚で、年齢は40歳ぐらいだったと思います。
性格は男性的で生徒にも厳しかったのですが、外見は、髪はミディアム?でスカートもはくような方でした。
もちろん、アプローチなどはできませんでした。
私が大学受験終了後にお礼を言いに塾に行くと先生はいらっしゃらず、理由を他の先生に聞くと、お休み中とのことでした。妊娠していたそうです。
私が第一志望に合格したことを喜んでくれていた、と聞きました。
もうあれから10年近く経っていますので、今はきっとママをしているのでしょう。
お元気にしていてほしいです。
先日、後ろ姿がその先生の姿に似ている人を見かけ、先生のことを思い出していました。
私は、30代~40代前半ぐらいのカッコいい女性に惹かれやすいみたいです。
でも一番最近惹かれたのは、前に通っていたカウンセリングの、自分と同い年のカウンセラーさんでした。
笑顔や、うなずきながら話を聞いてくれるところに惹かれたのだと思います。
カジュアルで髪は少し短め、かわいらしい雰囲気、色白で、顔は思い出そうとしてもハッキリとは思い出せないのですが、顔も好きでした。
結婚指輪をしていました。どんな人と結婚しているのだろう、と思いました。
また、話しているとき少し胸を見てしまいました。
普段外を歩いているときも、素敵だなと思う女性を見ると、少し性的な目で身体を見てしまうことがあります。
そのことに自分で気が付くと、罪悪感があります。
同性愛のことも、そのうちカウンセリングで話したいと思っています。
小さな自傷行為
するのは小さな目立たない自傷行為です。
手の親指の爪の生え際の皮膚を、むしるのです。非常に、地味な行為です。
無意識に、気づくとやっています。意識しながらやっていることもあります。
たまに出血するまでやっています。
この行為は遅くとも小学生のときにはやっていました。
不安やイライラを鎮めるためにやっているのだと思います。
リストカットと違って、この行為をやっていても人にはバレません。
外でも平気でやっています。
傷も少しは残りますが、爪回りの皮膚がすこし荒れているぐらいなので、人に気づかれることはほとんどありません。
この行為を自傷行為と呼ぶのはおこがましい?のではないかとも思います。
私がいつも思っているのは、私の心の苦しさは本当に苦しい人たちに比べたら、全然大したことないものだということです。
リストカットしている人たちのほうが絶対に私よりも苦しみが大きいのだと思います。
過去に一度、リストカットを試みたことがあります。私は、怖くて切ることはできませんでした。
カミソリで、目立たないような肩の付け根付近を、ミミズ腫れができる程度に弱く、薄くなぞることしかできませんでした。
自分の苦しさは中途半端だ、と常に思っています。
そのため、カウンセリングの場であっても、苦しいと言うことがあまりできません。
これぐらいのことで、症状もなく支障のない社会生活を送っているのに、苦しいと助けを求めることがおこがましいように思えるのです。
でも先日のカウンセリングのときに、この地味な自傷行為のことを先生に話すことができました。
無いようなものですが、その目立たない傷も見せました。
以前に通っていたカウンセリングでは、この話はしませんでした。
今回話すことができてよかったと思います。
カウンセリング遍歴
現在通い始めているカウンセリングルームが3カ所めです。
初めて1カ所めのカウンセリングに行ったのは、就職して1年半ほど経ったころでした。
そのときの動機は、虚無感、何のために生きてるのか分からない、死んでもいいという感覚が辛かったためです。
1カ所目は40歳ぐらいの女性のカウンセラーさんでしたが、その方が元気でサバサバしているようなタイプで、なんとなく自分の内面を話しづらく、月1回程度のぺースで約2年通いましたが行かなくなりました。
2年間、あまり深い話ができず、表面的な話に終始してしまいました。
2カ所めは自分と同い年で20代の女性のカウンセラーさんでした。年齢が同じ同性だということと、外見がかわいらしいことで話しづらく感じてしまい、2回しか行きませんでした。
私はたまに同性である女性に惹かれてしまうことがあり、この先生にもほとんど初対面から、外見と声、雰囲気に惹かれてしまいました。
通い続けても、おそらく恋心のような気持ちを持ち続けることになり、辛かったと思います。
現在の3カ所めは男性の60歳ぐらいのカウンセラーさんです。
まだ2回しか行っていないので今後どうなるかまだ分かりませんが、感覚としては前のお二人よりも話しやすい気がします。
私は女性の心理士さんよりも、おじさんの心理士さんのほうが合っているのかもしれません。
今の心理士さんは、成育歴・家庭環境等について重視する先生のようです。
1カ所めのカウンセリングのときに、本当は家族や自分の今までの人生の話をしたかった気持ちがあったのですが、結局あまり話せませんでした。
私はこのような話を、質問されないと自分からはあまり話せないのです。
育った家庭環境は、客観的に考えれば悪いものではありませんでした。虐待もされていませんし、経済的にも恵まれていました。
姉が2人おり、3人姉妹の末っ子です。
いつも思うのは、自分は恵まれた環境で育っているのだから、カウンセリングで家庭の話をしづらいということです。
言い方が悪いのは承知していますが、明らかな虐待などを受けていればカウンセリングで家庭の問題を話せたと思います。
今の心理士の先生は、家族のことなどを質問してくれるので、それに答える形で話すことができます。
父の単身赴任が長かったことや、その間の母親の締め付けがあったことを、少し話せました。
私は高校を中退し、2番目の姉は小中学が不登校だったのですが、そのことは多分家庭に原因があると思う、と先生はおっしゃいました。
私も本当はずっとそう思っているのですが、それを認めてはいけないような気持ちもしています。
恵まれた環境で育ったのに、親のせいにしていいのか、という気持ちかもしれません。
でも先生がその言葉をおっしゃったとき、私はホッとしました。
やっぱりそうなんだろうという気持ち、自分がずっと思っていたけど誰にも話せなかったことを支持してもらったからでした。
今までの人生では誰にも自分の家庭・親のことを深く話すことができず、家庭に問題があるなどと言われたこともありませんでした。
この気持ちを認めてもらえた感じがしました。